2014年11月5日水曜日

釘でとめる。

文藝春秋版の「父が消えた」。
目次裏には「装釘 福田隆義」とあります。

絵本作家でイラストレーターでもある福田隆義氏は、多くの書籍を手がけてますが、この「装釘」という表記はあまり馴染みがありませんでした。

本を綴じ、表紙などをつけ、意匠を加えて本としての体裁を飾り整える作業である「そうてい」という漢字表記には、もともとの意味である装い訂(さだ)めるの略用表記として「丁」が正しいとか、書画で用いる「幀」が正しいとか、「釘」は中国から入った熟語だとか、今ひとつ「違い」がはっきりせず、個人的にもこれまで多く目にしてた「装丁」、「装幀」を用いてきましたが、「丁」と「幀」をあまり区別していませんでしたが、「釘」は使ったことがないので調べてみると、ちょっと興味深い意見を見つけました。

暮らしの手帖の創刊者である編集者の花森安治氏は、「本の内容にふさわしい表紙を描き、扉をつけて、きちんと体裁をととのえるは装訂ではない。作った人間が釘でしっかりとめなくてはいけない。
書物はことばで作られた建築なんだ。だから装釘でなくては魂がこもらないんだ。装丁など論外だ。ことばや文書にいのちをかける人間がつかう字ではない。本を大切に考えるなら、釘の字ひとつおろそかにしてはいけない」(書籍『花森安治の編集室』より引用)
と語っています。

なるほど電子書籍が当たり前になって「本」という価値観がはっきりしてきた現代には、ものを作る立場からの意識の表れとしては「釘」が適切なのかもしれません。

30年以上前の本を手に取って、改めて現代の本について考えさせられたのでした。




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